240年 3月 呉の呉が魏
3月1日、張苞が亡くなった。
槍Sの武将がいなくなってしまった。
まあ現状、槍は防御の時に頭が良い奴を混乱させる為の乱突が出来れば良い。
戟のほうが防御向きなのだが、我々は防御に槍、攻撃に戟を使っている。
槍は敵の米を奪えるので長期戦向き、森からの攻撃が有利、と、城周辺ではあんまり意味が、ってのは研究すればの話。
槍の研究は、戟の得意な南蛮軍では後回しだ。
南蛮軍、と言いながら、孟獲と祝融以外の南蛮出身者は蜀領からの輸送をしているだけだが。
ぽつぽつと星になっている、はず…気にしていないので、誰がまだ生きているのかも知らないな。
輸送に出発した、と画面下に表示されるが速くて全部は読めないんだ。
4月21日、鄴、濮陽から平原を攻める。
王平、馬謖の弩。
花鬘、夏侯恵の戟。
姜維の馬。
濮陽からは、羅憲、関索、王渾の投石。
救助以来に花鬘と関索が合流する。
寿命がいつ尽きるか分からないので、単独行動はさせないようにして。
まあ、2人共に単独行動出来ない知力だけど。
そんな意味で姜維は優秀だ。
6月11日、羊祜が加入した。
張苞が亡くなって数ヶ月、槍S弩Sが入ってくれて助かる。
もうすぐ平原は落ちるので、移動させよう。
政治も出来る優秀な…優秀…姜維と同じく、器用貧乏かな。
それでも、メインで戦える子だ。
6月21日、平原を制圧した。
これで、北から孟獲、南から我々で家族みんなで挟み撃ち、としたい所だが、出来ないな。
鄴、晋陽、薊、と、お金が全然無いので孟獲は留守番。
と、7月1日、魏が呉を制圧した…ような文章がちらっと画面下に流れたような気がした。

面白くしてくれる。
まさか海戦で魏が勝つとは。
魏と呉が争ってくれるのはこちらとしては難易度は落ちるけども、まだまだ三國志だな、と思える。
良いぞ。
8月11日、平原から南皮へ出撃だ。
家族集合は間に合いそうか。
寿命来てすぐ亡くなる可能性はもちろん有ったはずだが、行けるな。
姜維、羅憲、劉劭の投石、詩想を投石に利用、は不要だったかな。
防御の計略部隊に詩想、が良いかもね。
祝融、花鬘、羊祜の戟。
王平の弩。
私は馬で建築と計略だ。
8月21日、北海から濮陽に2部隊24000人が馬でやって来る。
濮陽の留守番は3人だが、馬岱の馬S、孟達の弩A、胡烈の戟Aで守り切るぞ…。
9月1日、孟達死亡で兵士が消滅した。
寿命来たよ、から1年以上生きる人もいるし、全員は把握出来ていなかった。
やらかした。
しかも、あいつら濮陽に来ずに平原の市場攻撃してるし。
結局、平原から防御部隊を出し、濮陽メンバーは退却した。
孟達の弩部隊を失っただけだった。
2人になってしまったので、鍾会を濮陽へ向かわせた。
姜維と鍾会が合流する日も近い。
南蛮軍に対して反乱とか起こすことは無い、はずだ。
10月11日、小沛から濮陽へ槍13000人で来た。
何故そんな小出しで。
馬岱、鍾会で馬、胡烈の弩で問題無し。
10月21日には、南皮制圧完了。
孟獲を薊から南皮に移動して、久しぶりに家族が揃った。
ついでに関索も。
亡くなる前に結婚…なんてのも、ポイントを使わず出来るなら良いが。
勿体無いから出来ないな。
241年 1月 花鬘死亡
あれからちょうど1年、姉が亡くなった。
両親より先に。
家族みんなと合流したことで、安心して亡くなった、のか。
まあ、寿命の問題は仕方無い。
槍に戟に、活躍してくれました。
1月21日、呉が呉を取り返した。
呉の隣が大都市の建業だし、魏の領土のどこから呉に輸送が出来るのか、って話だし、守り切るなんて不可能だった、だろう。
呉軍を削ってくれてありがたい、我々の為の攻撃としか思えない呉への侵攻でしたね。
2月1日、北平へ出撃。
姜維、羅憲、劉劭(不要)の投石。
孟獲、祝融、王平の戟で。
2部隊でももう、余裕、だろう。
呉が、武陵から永安の港を狙う…。
面倒な奴。
でも、北が落ち着くまでは防御しようか。
さらに魏、小沛から濮陽へ大軍が。
魏と呉、同盟して我々に集中するべきだと思うが、それは無いんだな。
3月11日、私、夏侯覇の弩を北平へ向かわせることに。
意外と…北平に武将いたな。
姜維の投石が破壊されてしまった。
2台目。
まあ、たくさん有るから良いんだけどね。
と言うのも、劉禅は今、我々と別行動をしているのだ。
どんなに無能でも、投石の完成日数は最大で90日まで。
劉禅1人、1年で4台の投石を作っている。
彼は、陳留の工房で、やるべきことを見付けたんだ。
寿命も長いので、安定供給が可能。
もう、使い切れん投石が有る。
6月11日、永安を守り切り、さらに21日、濮陽を守り切った。
もっと頑張ってくれないと、終わっちゃうぞ。
7月21日、北平制圧。
姜維達は、捕虜にはならなかったので南皮にいるが、次の為に移動だ。
内政も一気に終わらせて、北を終わらせよう。
241年 8月 皇帝孟獲
北平の制圧から、孟獲が城に入った翌。
馬謖から、皇帝話が。
何故馬謖なんだ。
功績とかかな?

国号は、もちろん蜀。
劉禅には無理でも、劉備の孫はきっとやってくれるはずだ。
孟獲、私、の次…私の寿命は99年なので、劉備の孫が先に亡くなる可能性も、か。
まあ、そこまでゲームは続かないけど。
9月1日、ついに関索が亡くなった。
姉が亡くなってから、ずっと南皮で留守番していたので、同じ場所で、だ。
関索の嫁さん、生きてるけどね。
魏延達と永安にいる。
さて、北はもう終わるのでそろそろ。
9月11日、永安から江陵へ再出発だ。
ついでに濮陽から小沛も。
濮陽に武将はいないが、小沛が呉に取られそうなので城だけ掠め取ってやろう。
10月1日、北平から襄平へ。
孟獲、祝融、私の家族戟。
姜維、羅憲の投石で十分。
相手は兵士15000だけだ。
12月11日、意外と時間が掛かっての小沛制圧。
三つ巴の殴り合いになってしまった。
捕らえた曹芳は解放してあげよう。
翌21日、寿春から小沛に来た。
どうやら、漁夫の利されて呉は怒っているようだ。
小沛の南、細い道が有るので寿春からの攻撃は楽に防げるだろう。
242年 1月 北制圧
襄平をあっさり制圧した。
内政を終えたら安全地帯は仲間に委任するので楽になる。
ただ、どこに移動するか…。
内政が終わってから考えよう。
2月21日、魏延達が江陵を2回目の制圧。
江陵に移動も有り、かな。
4月1日、精鋭弩兵を研究。
新野は取らずに鍛冶と研究だけしている連中は納得して動いてくれているのかどうか。
何年も新野を見張ってくれてありがとう。
移動は平原にしようかな。
まず北海を取ろう。
5月11日、孟獲等、平原集合。
平原から北海へ出撃、は、最初は投石のみ。
距離が有る場合、投石だけ遅れちゃうからね。
6月1日、馬、戟を追加で送り込み…。
何事も無く8月11日、北海を制圧した。
さて、下邳は置いておく、か。
下邳と呉がまた海で争ってくれると、米と時間を消費してくれて助かりそうだ。
9月11日、江陵から武陵へ魏延と蒋琬が行く。
今回は守り切れているが、しつこい。
まず襄陽を落とそうと思っていたが、武陵は間の川が絶妙に厄介で守り難い。
まず武陵だ。
本隊は、小沛から寿春へ行く予定で、移動だ。
つづく