238年11月 銅雀台
鄴にて、銅の雀が発見された。
銅雀、が発見されたらそれを使って建物を、とか思う、かな、とは思うが。
まあ、イベントなので受け入れるのみ。
建物なのに、銅雀「台」なのも違和感だが、中国では違う意味が有るのかな?
魏が滅ぶきっかけは、諸葛亮の死後、豪華な建物を複数建てたり、一族の優遇だとかなんとか。
銅雀台、しか建てられない。
姉も私も子供はいない。
大丈夫だな。
私、孟会、はいたらしい。
しかし、三國志の世界にはいない。
三國志に関わらなかった人々が、実際はいたのだろう。
なので、姉にも、孟会にも子供はいたのかもしれない。
が、新武将として作らなければ、存在しないので、優遇も何も無い。
銅雀台以外、意味の無い建物が有ればね。
贅沢したくても不可能なんだ。
銅雀台は研究のポイントが貯まるから建てるべきだし。
なので、汝南の侵攻中だが、父の暴挙を止めに鄴へ向かう、なんてことはもちろんしない。
無事、11月に汝南は制圧した。
汝南を制圧したことで、宛、上庸、汝南に囲まれた、魏の新野、となった。
汝南は、新野と寿春に挟まれているが、魏と呉が同盟しない限り大丈夫だろう。
汝南は楊儀に任せて、劉禅を置いて来た陳留へ戻ろう。
12月11日、運梯が完成した。
何を研究するかは人それぞれ有るだろう。
投石が壊されて、孟獲が戟で城壁をなんとか破壊したあの時、運梯は必要だな、と思ったんだ。
さて、汝南を守らせて、先に北を制圧するぞ、となるとまた魏延が暇してしまう。
永安から江陵へ攻めさせよう。
魏延、桓範で戟。
廖化、蒋琬で投石。
馬忠で弩。
3部隊…足りない気もするが、挑戦しよう。
そして、ついに訪れる死。
239年1月、花鬘、関索が死ぬ。
占星術を学んだせいで、姉の死が分かってしまうんだな。
そんな中、2月11日、在野の鍾会が加入した。
魏との戦いに組み込もう。
姜維と一緒に戦わせたくなるが、今どこにいるんだ、姜維は(探せば見付かるだろうが)。
239年 3月 雍闓死亡
占星術で死を占っても、すぐに死ぬことは無く、寿命が来たのでその日以降ランダムで亡くなる、なんて仕組み。
いつ占ったっけな。
雍闓…歴史と比べれば、随分と長生きしたな。

本当に強かったな、雍闓。
裏切らなかったら、蜀で活躍は…しなかったのかな。
新、投石担当に羅憲を宛から陳留へ移動して。
出発前で助かったな、と思えば良し。
羅憲の到着を待つ。
3月21日、陳留から濮陽へ侵攻。
祝融、羅憲で投石。
馬岱、関索、私で馬の2部隊で十分だ。
寿春から濮陽に来る可能性が有るので、通り道にしっかり建築して、戦うのは投石だけ。
姉は防御の為に待機。
おそらく来ないだろう。
同日、鄴から晋陽へも侵攻。
孟獲、費詩で戟。
夏侯覇、馬鈞で投石、こちらも2部隊で。
費詩を連れて行くのは建築の為に、と思いきや、鄴にはお金が無い。
平原から来た時の為の防御も必要なので仕方無いか。
計略対策には効くから父1人で行くより良いでしょう。
5月1日、曹叡が亡くなった。
魏には司馬一族はいるが…イベントは無いし、普通に、ただの知力が高いだけの1武将だ。
特に何事も無く、曹芳が後を継ぐだけだ。
当然と言えば当然か。
三國志の三は、魏、呉、蜀だから。
晋は関係無いんだ。
この世界の司馬懿はただの良い軍師だ。
5月21日、強弩の研究を開始。
投石の範囲攻撃は迷うけど、無しで行くか。
戟と弩を強化して行く。
7月1日、晋陽、濮陽同時に制圧した。
晋陽は守らず、すぐに攻め込むのも有りかとも思うが、鄴も含めお金に困っている。
輸送するなら洛陽からだが、濮陽優先だな。
そんな状態の今、7月11日、平原から敵が出撃した。
姜維の騎馬隊だ。
ついに来たな。
239年 8月 江陵の戦い
永安から江陵に向かったのは、昨年の12月。
嘘のような時間が掛かってしまった。
鄴の姜維も気になるが、江陵が大変なことになっている。
8月21日、江陵を制圧したのだが、9月1日、襄陽、武陵、江夏から呉軍が襲い掛かる。
輸送はおそらく間に合わないし危ないので送らないとして、今の戦力で、削って退却することになるだろう。
廖化の血路を利用しながら、なんとか、誰も捕虜にさせずに戦い抜こう。
逃げる、と決めているので、気楽に。
魏延もちゃんと、私の指示通りに動いてくれるから問題は無い。
10月1日、晋陽からさっさと薊を落とそう。
夏侯覇、馬鈞の投石は兵士14000人で同じだが、孟獲の戟部隊は兵士9000人で出撃。
武器も兵士も足りない。
こんな時、兵器はすごい助かる。
負けると次反撃で落とされそうだが、勝てば良い。
北平、南皮は兵士15000ずつ。
平原に兵士を送っていたみたいだ。
こちらは大丈夫だろう。
江陵は、計略部隊や乱突の混乱を狙いながら、魏延の連戦で兵士を減らす。
しかし翌年1月1日、諦めて退却開始だ。
永安まで、戦いながら逃げて、呉軍の食料を減らしてやる。

一応残り物を桓範の輸送隊に任せたが…。
やられた。
捕虜にはされなかったので、彼は本拠地に逃げ帰ることに。
江陵から晋陽へ、長旅だな。
本拠地は中央付近だとこんな時、楽、かも。
永安と江陵の間の道は、ほとんどが江陵領なので、永安領に到達するまで執拗に追って来る。
建築した物は色々壊されたが、呉の損害もなかなかだ。
良しとしよう、か。
次はどうするか…。
永安に入ると兵士が溢れるので、先に輸送。
成都にまで送り返す必要が有るくらい余っている。
もう1回江陵攻め、かな。
ただ武将が足りないだけで、行けるはずだ。
研究は、次は戟の大盾を開始。
240年 2月 姜維加入
1回目の攻撃は、ぎりぎりで守り切った。
鄴も落とされるかと不安だったがなんとか。
魏は現在、張郃、司馬懿等、新野に集まっているので、こちらの武将の質は姜維以外低めだったので助かった。

姜維の騎馬隊を、囲んで捕虜に、とする余裕は無く、平原に逃げ帰る姜維。
南皮から平原に輸送はすでに届いていて、次はいつ来るか、と。
翌、すぐに姜維出撃…なんと、衝車に乗って。
姜維は諸葛亮の弟子のような立ち位置ながら、兵器の扱いはC。
しかも衝車。
囲め。

仲間には出来なかったが、無事に捕虜に出来た。
三國志の全盛期と言うか何と言うか、数字を比べるとやっぱり…器用貧乏な奴、なのか。
この時代ならトップだが、1人で蜀を支えるような力は無いのだろう。
能力の反計もね、敵は姜維に計略を撃たないので出番が無い。
が、強いのは間違い無いので使いたい。
2月11日、薊を制圧し、さらに同日、姜維を寝返らせることに成功した。
次は、平原、南皮へ鄴、濮陽から行けば、家族が久しぶりに集まる。
姉の寿命が尽きる前に。
つづく