FFマニアアズのMP日記

やりこみに疲れたアズのゆるい制限プレイブログ

孟獲の息子 235年3月〜(三國志11)

235年 3月 長安制圧

諸葛亮が亡くなった翌3月、安定から長安へ出撃する。

歴史で言えば、諸葛亮が亡くなってすぐ長安へ向かうのは魏延の意見で、それはもちろん通らないのだが。
諸葛亮が戦場で亡くなって、司馬懿が死に気付いたら攻めて来るから退却、だったか。

戦闘中じゃないし、司馬懿も長安にいないし、魏延は永安を守っている。

問題無く長安へ向かえる。

いつものメンバー、張苞は抜きで。
軍制改革のおかげで兵士が足りない。
兵士減らして4部隊、とするほどの将軍か張苞は?と思うと留守番かな、と。


ここまでに長安から漢中へポツポツと微妙に出撃して来ていたが、まだまあまあ長安の兵士は残っている。

橋の、狭い所の戦闘で少し時間を掛けてしまった。
200日分の兵糧がちょっと怪しいぞ。
とは言え、安定から補給部隊を出す余裕は無いので強行するのみ。
ここで失敗したら、徴兵、輸送待ちで時間が掛かりそうだ。

川を越えたら抵抗はほぼ無く。
8月、無事に長安を制圧した。

捕虜の中に、趙雲の息子の趙統を発見した。
さらに、夏侯覇、曹爽と。

曹爽は一族だけど司馬懿と一悶着有ったからか、相性がちょっとずれているのか、捕虜にしていると忠誠が下がって行くので仲間に出来た。
夏侯覇は歴史通り、蜀軍…南蛮軍だけど、ちゃんと仲間になってくれた。
司馬懿が曹爽を、からの夏侯覇、だったはずだが、一緒に加入。

夏侯覇の長駆はなかなか便利だ。
私の騎馬築城部隊に加えよう。

私、関索、夏侯覇。

築城せずに戦ったほうが良さそうなメンバーになってしまったか。
関索、夏侯覇のコンビでも良いな。

とりあえず安定長安間、漢中長安間の軍楽台を建てに行く(1人で)。


しかし夏侯覇はいたけど姜維は…呉との国境で戦ってるのか?
ちょっと探してみようか。

安全な場所で関から城への輸送しちゃってるよ姜維。
何かやらかして僻地に飛ばされたのか?
コンピューター含めて歴史通りに動かすことはまあ不可能だろうね。

235年 8月 防御部隊の攻撃

235年8月11日、漢中の北は安全になったので、移動はせずにここの防御メンバーで上庸へ出撃してみることにした(劉禅は長安へ)。
長安は内政に時間が掛かるだろうし。

祝融の戟、花鬘の槍、呉懿の弩の3部隊。
花鬘は戟将だけど、意外と乱突での混乱が効果的だな、って場面が多くて。
花鬘以外の槍の武将を送るべきだったかもしれないが。
Aなら他にもいるし。

1発建築に慣れていると、2ターン掛かるのは何か嫌な感じだ。

なのでもう1人、天水の捕虜だった王淩を漢中から出した。
槍A弩A、騎馬はBだけど、建築と言えば騎馬、ってのが我々のスタイルになっているので騎馬で仲間を追う。
花鬘を祝融の副将にして、王淩を槍で出すほうが良かったかも、と思ったけどもう遅い。

結構強いんだ、王淩。

有名な、優秀な武将が亡くなって、この時代にようやく芽が出る感じの1人、と思う。
占領後の内政も出来るバランスタイプだね。
問題は、Sが無いくらいで。

まあ、王淩が凄い強い、とは言わん。
本当に強い武将なら、仲間になった時点で前線に送り込むだろう。
彼は、天水や武威のような後方を任せるのは勿体無い、から前に来た、だけなのだ。
あくまで、バランスタイプだ。

Sが無いバランスタイプは蜀軍にもいる。
この時代、関興、張苞、姜維、魏延、馬岱、等と漫画三国志で活躍するメンバーに並んで名前が微妙に出る連中。
張翼、張嶷、馬忠。
絶対最前線に移動だ、とは思わずそのまま。
…彼等は今何処にいるのか。
タイミングを見て、編制し直したりもしたいな、と。
魏延も結局ずっと防御だし。
王淩だけずるい、と思われるな。

本来なら、戦争が終わると防御に数名の武将を残して成都や洛陽のような、本拠地に皆で帰る、んだよね。
だから、その度に編制出来るんだな。
今のスタイルは、戦争して、勝ったら引っ越しだ。
母と姉とはもう、何年も会っていない。
落ち着いたら、いつかまた。


そう言えばこれ今回、槍、戟、馬、弩、と。

初めて兵器無しで攻めたな。

井闌で城を落とす、でずっとやって来たので苦労している。
損害が大きい。

江陵対襄陽が続いているから大丈夫だとは思うけど、これ、上庸取ってもすぐ攻め落とされる可能性有るか。
兵士送ったほうが良さそうだ。

戦闘が終わる前に漢中から輸送を出した。

結局、上庸の制圧は翌年、236年1月21日だった。
敵が少ないのに長安と同じくらいの時間が掛かってしまった。
やっぱり井闌は強いんだ。

236年 3月 洛陽へ

長安の内政や建築も終わり、洛陽へ向かう。

歴史で言うと、蜀が長安へ、呉が洛陽へ、と狙いたかったわけだ。

未だ襄陽を落とせず、江陵も落ちず、戦い続けているので、呉軍が洛陽だなんて全く見えない。

ついで、と言うか、北の港を落とす部隊も出しておく。
港の1つは姜維のいる晋陽領だな…思い切って晋陽へ行く、のは違うか。
まあ、ちょっと考えよう。

魏と呉が争い続けることで、兵が減ってくれるわけだから、洛陽の後、北へ行くのも有りか。
国境残して洛陽近辺の制圧後、官渡の戦い、ってつもりで黄河を渡るのも良いかもしれない。

領地が変な形で長くなると、間の城を落とされたりして、また楽しめる可能性が、とも思う。
領民からしたら嫌だろうけど。

最近、永安の皆が暇している。
ポイントが貯まったら研究しているだけ。
どちらかが落ちたら魏延で、と思っていたが。
兵士はもう、後方の江州まで満タンだ。
永安で、井闌を投石にパワーアップしよう。

実際、井闌と投石の役割りは違う気もするが、投石は、井闌プラス城壁破壊。
純粋にパワーアップだ。
6月に完成。
戦闘中だった雍闓の井闌も、突然投石に切り替わる。

さて、8月、上庸の内政は終わったので、また同じメンバーで行ってみよう、と宛へ向かう。
宛と洛陽で、家族が揃う。


10月、洛陽を落とした。

洛陽制圧に、呉の出番は無い。

今どうかな、と。

どっちもボロボロだな。

お、江陵から新野に船団が向かっている。

長安と洛陽が落ちたら魏は滅ぶ、とか曹叡は言っていたが。
滅ぶのか。
なら襄陽が落ちる、のかな?このままだと。

魏と呉の国境の位置が変わったら、魏延の出番かもしれないな。
永安から江陵…いや、北から攻めるべきか。
魏延の戟と蒋琬の投石の2部隊になる、か。
どうしようかな。

237年 1月 城壁破壊

上庸から宛に向かった元防御メンバーが宛を制圧したのは237年に入った後だった。

宛からは新野、許昌へ行ける。
上庸と襄陽は一応航路で繋がっている、のでそこも気になる所。
漢中からの輸送で、兵士数だけ多い武将3人。
おそらく、兵士10万にびびって攻めて来ないだろう。
呉が襄陽を落とすまで、様子見だ。

4月、諸葛亮の妻、黄月英が亡くなった。
雍闓の兵器部隊が弱体化した。

雍闓、死なんな。
助かるわ。

その雍闓含む我々はその4月、洛陽から陳留へ出撃。
陳留、我々南蛮軍の上庸と同じ状態の、兵士10万武将3人だったのだ。

雍闓の投石で城壁を破壊すれば、兵士が残っていても消滅する。

私は個人的に、衝車は使わない。
他のことが出来ない城壁破壊専用兵器が要るのか?と思っている。
研究したら衝車は木獣に変わるが、投石で良いよな、と思う。
城壁に貼り付くまでは計略でも良いが、計略部隊はCでも騎馬で出したり、もう輸送隊で行ったって良いし。

なので、衝車を私は使わない。


6月、宛の捕虜、夏侯玄が加わった。
徴兵2倍の名声は防御チームに良い、ような、もう別に要らんような。
まあ、無駄にはならんな。
助かる。


7月、陳留は落ちた。
城壁が壊れただけなのだが、落ちた。
残った兵士は何処に行ったのか。

城壁破壊中心に行くなら、投石を増やすのも良いな。


つづく